ゴールデンウィーク。久しぶりに実家に帰省してきました。
80歳の父と76歳の母。2人とも元気に暮らしていて、ほっと一安心。
それでも年齢を考えると、元気なうちにできるだけ会っておきたい——そんな思いが年々強くなっています。
実家のぬくもりは、いつでも「子ども」を包み込む
「ごはんちゃんと食べてるの?」「仕事は無理してない?」
実家に帰ると、まるで時間が巻き戻るように、私はまた“娘”に戻ります。
親にとっては、いくつになっても子どもは子ども。
私が50代になっても、何かと心配してくれる存在がいるというのは、ありがたくもあり、くすぐったい気持ちになります。
母は相変わらず料理が上手で、帰省初日の夕食には私の好きな煮物と天ぷらが並んでいました。
父は小さな庭で育てた野菜を見せながら、「今年はトマトが良くできそうだ」と得意げに話してくれました。
ふたりで支え合って暮らす日常
両親は、2人で暮らしています。
買い物も散歩も一緒に出かけています。
「元気でいようと思えば、やれることが増える」と母は笑います。
高齢になると、病気や体力の衰えが話題になりがちだけれど、こうして“ふつうの日常”を大切にする姿に、私は学ばされることが多いです。
支え合いながらも、心地よい距離感を保っている2人。
「老後の理想の形って、こういうことかもしれない」と思いました。
心配される存在であることの意味
ふと、思いました。
どうして、こんなに親は私のことを心配してくれるんだろう?
50代にもなれば、人生の折り返しはとうに過ぎていて、それなりに自立しているつもりです。
それでも、「体に気をつけて」「ちゃんと休んで」と言ってくれるのは、
心配することで、親自身が元気でいられるのかもしれない。
そう思ったのです。
親が心配してくれる。
それに応えるように、私はまた元気に「大丈夫だよ」と返す。
そのキャッチボールが、もしかしたら、親の生きがいの一部になっているのかもしれません。
「もぉすこし、心配させるからね」
実家を後にする日の朝。
母が用意してくれたおにぎりを手に、私は言いました。
「もぉすこし、心配させるからね」
「だから、いつまでも元気でいてね」
これは、50代の私からのちょっとした願い。
もう少し、親に甘えたい。もう少し、心配していてほしい。
それが、きっとお互いの心を支える時間になる——そんなふうに思うのです。
親と過ごす時間の大切さ
忙しい日々の中で、帰省のタイミングを逃してしまうこともあります。
けれど、ほんの数日でも顔を見せること、同じ時間を過ごすことには大きな意味があります。
写真を撮るのも、手紙を書くのも、声をかけるのも、全部「今」だからこそできること。
歳を重ねて感じるのは、「今ある関係を大事にしたい」という気持ちです。
過去でも未来でもなく、“今”を見つめる。
親が元気なうちに、一緒に笑って、語り合っておきたい。
まとめ:50代の私が伝えたいこと
50代になって、ようやく見えてくる景色があります。
それは、親がくれた愛情の深さだったり、
何気ない会話の中にある優しさだったり。
そして、親が心配してくれることは、
ただの過保護ではなく、命をかけて育ててきてくれた証なんだと思います。
だから私は、こう言いたい。
「ありがとう、そして、もうちょっとだけ見守っていてね」と。
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両親との時間を大切にしたいあなたへ。
帰省は、ただのイベントではなく、心を通わせる大事な瞬間。
思いやりの気持ちを忘れずに、これからも“親子の時間”を重ねていきたいですね。